折り返し
封書で何かを知らせる、という方法に逢う。こんなとき
普段よりかしこまって
唐突な投げかけを受け止めるしかないのだが
受け取ったあと
すこしづつ歯車がなにかの意図するほうへ動いていくのがわかる
もとより自分の意思といえばそうだろう。
何かを知らせたあと、人はそのことについて考えるだろうか
郵便
わたしも意図を封じ込める。
駅
駅で懐かしい知人に出会った。
正確にいうと、見かけた。
目と目が合ったような気がするが、私はすぐに目をそらしてしまった。
どうしていつもこうなのだろう。不意をつかれたような出会いが苦手だ。
嫌いな人ではなかったし、その気になれば他愛の無い話だってできたはず。
根本的に人嫌い なのかもしれない。たぶん、そう。
誰もが手をたたいてほめてくれるほどの
社会性を身につけたいと思う。
自転する
朝起きてからしばらくして外出する。きょうは駅前の銀行へ。
今思えば、5ヶ月くらいはあっという間に過ぎていって、びっくりする。
今までなにをしていたのだろうか。
新しい仕事が見つかった。仕事について思うこと、暗唱してみる。
しかし、ろくなこと思いつかないのであきらめる。
そのあと時間つぶしに図書館へ。奥さんの自転車を借りて。
10年くらい前は家が近かったせいもあって、よく利用した。
久しぶりの中央図書館。
ただいま現在の状況で
読める本しか読めない、ってことが往々にしてあり
やはり今、自分は相当それなりに人生的にも苦しいので、それなりの選択になる
と考えながら棚を丹念に見つめていく。
本来、ブンガクだが、きょうは無理だ、と心の中でつぶやき
棚の一番下の隅っこにあった元ライブドア社長の獄中日記に目が留まる。
刑務所生活?(生活だよな?)の実録であるが
これならいま読めるかも、と手に取り立ち読みする。なんせ今俺は「しんどい」のだ
「しんどい」生活が他人にとっていかほどのものなのか。
なんとか読めそうなので近くのソファー席へ。
塀の中も外も本質的にあまり変わりはないのではないか------
いや、塀の外のほうが深刻だよな、人が抱える状況って。
小1時間ほどで読み終えてそう思う。個人的にはすこし元気を貰えたかも知れない。
我らサラリーマンの悲しさよ。
塀の中は規則正しい生活を強いられ、自由が無いと思われるかもしれないが
仕事もあるし飯も3食ついている。ラジオも聞けてテレビも観れる(NHKだけど)
本質的に安定してる、生活が。無駄がなくシンプル。元社長に叱られるかもしれないけれど。
塀の外はどうだ。
サラリーマンとしての処世を強いられ、ローン抱えて辞めるに辞めれない状況が60~65歳まで続く。刑務官のような上司だっている。自由?自由の使い方間違えて、破滅するやつも沢山いるよ。本質的に安定していない、塀の外は。
そんなこんなで図書館をあとにした。
だんだんと緑が深くなってゆく舗道をまっすぐに家へと向かう。
気温は高く、奥さんの自転車の電動モーターが小さくうなる。